我が及ばぬところをみづから知る事まづ難し。よき人知る事、もっとも難し。善き人の言を能く用いる事、次に難し。この三つを合わせしは大智の流なり。「功名が辻 司馬遼太郎著」
戦国大名 山内一豊の生涯を描いた司馬遼太郎著の「功名が辻」の中の一言です。
「これを古き人の評して、我が及ばぬところをみづから知る事まづ難し。よき人知る事、もっとも難し。善き人の言を能く用いる事、次に難し。この三つを合わせしは大智の流なり。一豊は誠にただ人ならずと、いひしなり」(抜粋)
このやりとりを、のちの徳川幕府の新井白石が、「これを古き人の評して」と書いているものです。
現在風にアレンジすると、「最初に自分の足りないところを自分で知る事は難しい。能力のある人を知る事も難しい。能力のある人の助言をうまく実行することはさらに難しい。この3つをあわせればすごいよ。山内一豊はほんとにただ物ではないね。」ということでしょうか。意訳しすぎですかね。
作中は批評とありますが、私は純粋にほめていると思っています。
一般に山内一豊は、妻の内助のおかげで一国一城の主となると紹介されていることが多いですが、むしろ、いろんな人の助言を聞きながら、あの戦国時代で織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に従いながら生き延びて、ついに土佐一国の城持ちになる日本版サクセスストーリーといえると思います。
自分の足らざるを知り、その足らないところを、周りのよい意見を取り入れ、それを実行していくことの大事さをあらためて理解できます。
ただ、このシーンはお世辞にもかっこいい場面ではありません。例えると、朝の通勤で一緒になった同僚のブレークスルーしすぎている意見を聞いて、会社に到着した後、社長出席の社運をかけた大事な重役会議で同僚に無断で自分が発表して(同僚も出席している)、徳川家康社長に感動されて、しかも難しい会議は全会一致で意見がまとまり、その後の関ヶ原の勝利に結びついていくわけです。この会議の発言が家康に大変好感され、そのご褒美で高知県一国をもらうという感じです。
現代では、これをやるとちょっとまずいかもしれませんが、この同僚もあまり怒らなかったみたいですね。その大物がいっぱいいる会議でそれを最初に発言する勇気をたたえたいと思います。
「我が及ばぬところをみづから知る事まづ難し」
「善き人の言を能く用いる事、次に難し。」
なかなかできていませんが、意識して仕事や家庭や子育てに生かしていきたいと思います。
しかし、司馬遼太郎の作品を読んでいると勉強になりますね。今も昔も人間が主役なので、戦国時代も現代も根っこのところは変わらないと感じます。
特に、この戦国時代や幕末は面白いですね。
司馬遼太郎が書いた、石田三成が主人公の「関ケ原」も面白いですよ。