「しかし秀吉はその不愉快さに堪えようとしていた」新史太閤記 司馬遼太郎著
秀吉が圧倒的に有利な中、ほぼ降参に近い形で秀吉のところに来た成政の態度が悪かったが、秀吉が破格の待遇をしたという後です。
腹は立つ。おもえば若年のころから佐々成政との接触についての思い出はことごとく不愉快なものばかりであった。さらにはたったいまのあの佐々内蔵之助成政の態度もどうであろう。
しかし秀吉はその不愉快さに堪えようとしていた。慣れてもいた。半生信長に支え続けてきた秀吉にすれば、佐々成政程度の男に対する感情ぐらい、処理することはなんでもなかった。そのように、自分に言い聞かせてもいる。
(この自分が)
と、秀吉は思う。この自分がいま経略しつつあるのは日本六十余州の征服であり、佐々成政程度の男に対する私怨ににむくいることではない。
つまり、秀吉が成政を殺さないのは、成政がある意味で必要だからであり(詳細は読んでくださいね。面白いから)その壮大な目的のために堪えているんです。
私は器が小さいのか、仕事で相手の態度が悪いときなどは、もちろん腹が立つときもあります。怒ってしまうときもありますが、怒った後はきまって後悔するときが多いですね。あとで頼むこともあるかもしれないのにね。
仕事では秀吉ほど壮大な目的はありませんが、大きな目的のためにはその不愉快さに堪えることも大事だと考えさせらる内容です。
がんばろ。