「勝家は常に相手の側の都合や利害を考えようとはせず、自分を中心にろくろでもまわすように物事をまわそうとする」新史太閤記 司馬遼太郎著
司馬遼太郎さんの著作が好きなので、ぼちぼちと買い進めて読んでいます。
それに、私は豊臣秀吉も好きなので、この太閤記を楽しんで読んでいます。特に「人たらし」と言われる豊臣秀吉を詳しく知りたいので。
途中までしか読んでいませんが、痛快で面白い作品です。
事をなした歴史上の人物のやった事などを詳しく知ることって楽しいですし、自分の悩み多き社会人生活の参考になると思っています。
最近、仕事で他の部署との調整で考えることがあるので、そのせいかこの言葉が心に刺さったわけです。
柴田勝家が家康を調略しようとするために遣わした使者を家康が応対するくだりです。
家康は柴田勝家と言う人物の身勝手さがおかしくなった。
(なんのためにわしが三七信孝を助けねばならぬ)
理由がなかった。理由は勝家の側にこそあるが、家康の側にはない。勝家は常に相手の側の都合や利害を考えようとはせず、自分を中心にろくろでもまわすように物事をまわそうとする。そういうひとだ、と家康が思ったのはそのことであり、
(略)
調略をしようと思えば、いま家康がなにを欲し、なにを怖れ、なにに魅力を感じているか、と言うことについて犀利な分析がなければならないが、勝家にはそう言う感覚がまるで鼻が欠けたように欠けている。
(略)
(このていたらくでは、柴田はとうてい羽柴の敵ではないな)
話としては、本能寺の変の後を争う羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が、賤ヶ岳の戦いの前に繰り広げた調略合戦のことです。
秀吉が、長浜城の柴田勝家の甥を周到に調略していくのと違い、柴田勝家の調略のまずさを描いた場面です。
ここで、調略といってしまうと悪い印象があるのですが、今ならば会社内で自分の味方を増やしていくということでしょうか。
ただ、柴田勝家はこの字の名前のとおり上から目線の調略を行っているのに対して、秀吉は威圧的でなく恩義や相手の欲しがる事を考えて行っていることが違うことです。これって、昔も今も変わらない人間の真理であり、歴史から学ぶべきことだと思うんですよね。でも、なかなか秀吉のようには実践できませんが。努力はします。
そういえば15年ぐらい前にも「社内営業」という言葉を聞いたことを思い出します。でも私が聞いたときは、決して後ろ向きのニュアンスではなかったですが。
一転して、柴田勝家に疑いをかけられて呼び出しを受けた長浜城主の柴田勝豊の葛藤です。
「わしの一命は無事ではあるまい」
このとき当然ながら、柴田勝豊の脳裏には秀吉の顔があった。勝家の冷たさに引き換え秀吉の恩愛はどうであろう。彼はこの長浜城と北近江三郡を柴田方に譲るに当たって、
勝家どのにではない。年来自分と親しかった勝豊どのに譲りたい。
と、わざわざ名指ししてくれた。(略)
(それをおもうと、恩義はむしろ勝家にではなく、秀吉にある)
そして、勝豊がそのことに同意を求めた彼の老臣の徳永石見も、既に大谷吉継による調略によって秀吉方に味方しているという秀吉の根回しの良さ。
結局、
柴田勝豊は決意する。
「筑前(秀吉)どののお味方につく」
ここでは命の危険が差し迫ったとき、自分に危機が迫って追い詰められつつあるとき、そんなときに誰に頼るか、誰の味方につくか。秀吉はその優しさと圧力のかけ方が本当に絶妙だと思います。
相手が何を考えているのか、相手が何を欲しがっているのかを考え、真心を持って相手に相対していきたい。そう思った次第です。